こんなにも変わるという気づき
2022年6月16日
今年から「コンテナFarm」という動く菜園を園庭においてみました。
夏野菜を子ども達と一緒に植え付けること。やっていることは例年と全て同じです。
だけど・・・なんでこんなにも子ども達の姿に変化があるのだろう。その子ども達の姿、保育者達の姿はあきらかなんです。
▲例年と同じように夏野菜を植え付ける子どもの姿
▲違うのは隣接する畑から → コンテナFarmに植えたということ
コンテナFarmは日常の背景になりました。
毎日一緒に過ごす家族のように、当たり前にそこに存在します。
「かみの毛きった?」という日常の家族の会話のように。
「あれ、またおやさいおおきくなったね~」と野菜に声をかける子ども達の姿があります。
子ども達の「視線」に合わせて「高さ」を調整したこの菜園。
地植えとは違い、意識せずとも、常に子ども達の視界に入る菜園の姿。
だからお世話も「声掛け」なしに、子ども達が自ら水を与えてくれます。
こんな姿はこれまでありませんでした。
日常に溶け込むコンテナFarmが、子ども達の生活にとけ込んだ証です。
ちょっとした環境構成ですが、その変化は大きな「気づき」をもたらせてくれました。
食育活動として意識的に行うのではなく、当たり前の日常として。
すくすくと成長していく野菜たちの姿は、子ども達の喜びとなり。楽しさとなっていきました。
子ども達にあたたかく見守られ、すくすくと成長した野菜は無事に子ども達の手によって収穫されました。
その野菜たちを調理して、給食で「食する」ということ。
スーパーやデパートで綺麗に並べられた野菜たちの完成した姿。
吉田南の子ども達は、その野菜の育ちという「過程」を日常の中で経験していきました。
完成された野菜ではなく、自らが小さな苗を植え大切に大切に、少しずつ少しずつ大きく成長していく喜び。
そして、いよいよ食べる事が出来た高揚感。
日常で食する全ての食材は、耕された大地で、誰かの手によって大切に大切に育てられたものです。
好き、嫌いはもちろんありますが、目の前に並べられた野菜や食べ物にも、親(生産者)がいて
自分たちのように大切に大切に育てられてきた物語(プロセス)を少しでも感じてくれたのではないでしょうか。
「いただきます。」
という言葉は食材への感謝でもありますが、その素材を大切に育ててくれた方々への感謝の気持ちが込められているのかもしれません。